新しい居場所を見つけよう Part 2

AI/Digital Signage/Funding/IoT/LIVE!/Media /

以前書いた居場所の話の続きである。

筆者はかなり一人でいることは平気な方である。平気どころか、一人の時間や環境が一番好きと言っても過言ではない。もちろん人間は一人で生きているわけでも生きられるわけでもなく、多くの人とのつながりの中で生きていられるのは言うまでもない。

もう少しすると、老いがより身近で現実的なものとして自分にも訪れる。その時に自分がどういう健康状態、経済状態なのか。これは現在全く想像ができない。お金は無いよりあった方が良いが、健康状態に大きな不安が生じていたとして、お金で何ができるのかについて、私には何の確証も持てていない。はっきりしていることは延命治療は不要だし、何よりも痛いのは嫌だということだけである。

以前から、10年とか12年単位で人生には大きな変動というか波があると感じている。

デジタルサイネージに関わり始めたのは2007年以降からだが、その後の十数年間は、デジタルサイネージも刻々と状況も変化をするように誘導してきたつもりであり、筆者の立ち位置も変化し続けている。ずっと同じことをやり続けている感覚はゼロである。

2007年 デジタルサイネージコンソーシアム設立
     デジタルサイネージというキーワードでのブランディング
2011年 東日本大震災
2012年 「デジタルサイネージは街に飛び出すインターネット」
2013年 東京オリンピック開催決定 サイネージバブル到来
2017年 「デジタルサイネージ標準システム相互運用ガイドライン」発行
2019年 「センシングサイネージガイドライン」発行
     「センシングしてアナライズしてビジュアライズする」
2020年 COVID-19 ステイホームで問われるOOH
2021年 「オーディエンスメジャメントガイドライン」発行(3月) 

震災のときには電力問題とセットで半年ほど厳しい時期があったが、COVID-19の影響はここまで1年以上に及び、現時点でも出口は見えない。そこでCOVID-19以前の2019年から準備を進めてきた、OOHのメジャメントに関する日本で最初のガイドラインの取りまとめが先ごろ完了した。これによってニューノーマル時代の新たなOOHメディアの価値の最低期に繋がることを強く期待している。

また10年ほど前から、仕事的には放送系から徐々にデジタルメディア全般にシフトをしてきた。シフトといっても自分から好んで離れたのではなく、あまりにも動きの鈍い放送業界「だけを」いつまでも自分の居場所としていたら、気がついたら人生時間切れになると確信していたからだ。

放送業界における象徴的なイベントとしてInterBEEという展示会&コンベンションがある。InterBEEは56年もの歴史がある。筆者は30年前からの参加者で、後半は出展者でもあり、2014年には企画側としてInter BEE CONNECTEDを提案した。初回である2014年のInter BEEの公式レビュー資料にはこう書かれている。

そもそもConnectedとはどういう意味かーー。発案者である 江口 靖二氏はオープニングトークで以下のように述べた。 「Connectedはインターネットだけではなく、デバイスや他業種、新 しいビジネスとも”つながる”という意味です」。放送業界はいま、 通信との融合をいよいよ本格的にはじめており、映像を配信する 媒体の多様化も含めてビジネスモデルの再構築が必要になってい る。それをポジティブに受け止め、新たな方向を探る議論をし、新 たなビジネスプレイヤーに参加してもらう。そのための場として、 Connectedは発案された。INTER BEE CONNECTEDを知り、初めて来場した業界関係者も多く、Inter BEEとしても新しい方向性を 開く催しとなった。

Inter BEE 2014 Review

これとてもう7年も前の話である。3年前から筆者はConnectedには関与していない。理由は簡単で、結局のところ変化は期待するようなスピード感では起きておらず、むしろ改革という名の伝統芸能化しているからだ。

これ以上、遠い昔の話を続けると、老害以外の何物でもないので、新しい居場所の話に戻す。

放送、映像、メディアという領域が仕事の軸であったのだが、COCID-19以降の社会の変化の中で、新しい居場所を探しを始めなければならない。それは新たなものを作るとかかもしれないし、いまある枠組みとか居場所でできることかもしれない。日本では言われるほど大きな変化は起きないかもしれない。

InterBEE Connectedのあとにやはり企画提案したInterBEE IGNITIONで対談をさせていただいた、デンソーの鈴木さんのこうした分析を見ると、ニューノーマル自体も十把一絡げにしてはいけないことが見えてくる。

私がいま居場所を探すなら、選択肢は2つある。全く新しいことか、いまやっていることの応用のどちらかである。全く新しいと言ってもゼロイチみたいなものなど最初からあるわけがない。あくまでも自分にとって新しいことでいい。その業界から少し離れたところに存在価値が見いだせるというのは普通に起きることだからだ。今やっていることの延長の方は、考え方や概念は正しいが、何らかの理由でそれを実現できない場合においては有効である。いわゆる河岸を変えるということだ。これも結局は、少し離れた場所に移動してみるのとほとんど同じことと言える。

軸を変えて、居場所を変える=居住地または居住スタイルそのものを変える、というのも一つの方法だ。幸い子どもたちにはさほど手がかからなくなりつつあるのと、もともとテレワークみたいな働き方をしていたのだが、テレワークが許容されやすくなっているのは選択肢を大きく広げてくれている。実際に昨年末以降、3ヶ月近く仕事上ではオフラインで人に会っていない。いまのところ大きな健康不安を抱えているわけではないので、10年くらい宮古島に住んでみようかなどと考えないわけでもない。だが終の棲家になるかはやっぱり未知数で、いつか戻るというのも覚悟が甘くてうまくいかない気がしてしまう。そもそもそうした場所に求めているのはあくまでも非日常なのであって、日常をそこに求めてもきっとうまく行かないからだ。これは人生全てに言えることである。

言っておくが今現在進行系でやらせていただいている仕事を変えようと思っているわけでは全くない。全く無いのではあるが、同じことを同じままの状態で今後も継続できる気も全くしていない。できる気がしないというのはやる気の問題ではなく、アウトプットクオリティの話である。外部環境が変化を良しとせず、変化が起きない状態が吉祥ではないのであるとすれば、自分から何か行動するしかない、ということではないか。だからいま、こうして居場所を探しているのである。

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