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ソーシャル・ディスタンスの次に来るもの

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手前味噌だが、GASKETを運営するビズライト・テクノロジーの「断密サイネージ」が好評を博している。導入発表以来、多くのメディアにも採り上げられ、引き合いも殺到しているようだ。そして最初に導入いただいたフードランド レオ 誉田店と、運営される宍倉株式会社の方々、そして何より消費者の皆様にご理解いただけていることが、何よりうれしい。

なぜうれしいかというと、今回の新型コロナウイルス感染症に伴う新しいニーズに対して、妥当なご提案ができたと感じられるからだ。もちろん自分達が手がける技術が世に出て行くことのうれしさもあるのだが、社会全体で価値と考えられるような便益の提供を提供する一助に、何らかの形で貢献できるというのは、仕事をする意義を直接感じられる。

ところで、このあたりで読者の限界も近いだろう。GASKETよ、どこまでお前は自画自賛を続けるのか、と。

しかしこれは自分達ではなくこれからの社会とテクノロジーの関係を考える上で、とても重要な視点のようにも思えている。そして喉元を過ぎると忘れてしまいそうなことでもある。そんなわけで、未来の自分たちを戒めるためにも、備忘録としてもう少し書き進めてみたい。

断密サイネージの発想自体は簡単なものだ。おそらく誰しもが気づいていたことだろうし、有り体にいって先行者も同業他社もいて、それぞれ好評を博しているのではないかと思っている。

ただ、この発想自体も、生活者の体験から生まれた。つまりビズライト・テクノロジーの関係者が近所のスーパーで買い物をしながら、「この混雑ちょっとイヤだな」「なぜこんなに密接に行列するのか」と思ったところが出発点である。

そしてそんな目線から周囲を見渡すと、すでに入場制限のために従業員の方が店頭でお客様にアナウンスしている光景が見えた。大勢の(しかも誰かが陽性かもしれない)お客様とたった一人で対峙するのはいかにも気の毒だし、経営目線からすれば、安全管理義務違反に近いのではないかとさえ思ってしまう。当たり前だが、従業員とて人間なのだ。

そう、人間なのである。だったらその仕事、機械がやればいいんじゃない?

今回の断密サイネージには、そういう思いが込められていた。実際にプレスリリースでも「来店客と従業員の生命を守る」ということが謳われている。これこそが、断密サイネージがお届けしたいと思っていた「価値」なのである。そしてそれが特定できたからこそ、【目的の明確化】が容易だった。だから、開発も説明も迅速に進んだのだ。

実はここがとても重要なポイントであり、さらにいえば日本社会のデジタルトランスフォーメーション(DX)が進展しなかった理由でもある。つまり、提供価値の特定と、目的の明確化が十分進められないまま、「IT使った方がいいですよ」と言っていたのである。

実際、新型コロナの影響で、これまで社会全体で多大な労力を費やし、場合によっては大手コンサルファームに多額を支払ってきたにも関わらず、笛吹けど踊らなかったDXが、あっという間に進んでしまった。考えてみれば当たり前で、我々はDXをしたかったのではなく、それによって得られる便益を得たかったのだ。

新型コロナによって、「健康・安全・ストレスフリー」という便益が明確になった。そしてその便益を獲得する手段としてDXが有効であることが腹落ちした。だからユーザが自ら行動変容した。これこそが本来のDXであって、我々はもっとあらゆる生活シーンで、本当に求めている価値を追い求めるべきなのだ。

では、このまま断密サイネージのニーズは拡大していくのだろうか。もちろん当面は続いていくだろうし、さらにリテールの現場には課題が多く存在しており、いわばソリューションを考える機会の宝庫でもある。そしてそうした新しい取組自体が、次なる変容の基礎となっていくであろうことは間違いない。だからこそ、いま取り組んでおくべきことなのだと言える。

その一方でGASKETが考え始めていることがある。それは「あらゆる場面でソーシャル・ディスタンスを徹底し続けるって、やっぱり無理じゃね?」ということだ。この「じゃね?」という気分も含めて、ここは重要だと考えている。

たとえば傍証として、先週末に再開されたドイツサッカー(ブンデスリーガ)の試合で、ゴールを決めたヘルタ・ベルリンの選手達が集まって抱き合ったり軽くキスを交わして物議を醸す、という出来事があった。再開に際して示されたガイドライン違反を主張する声もあったようだが、リーグとしては罰則を科さないと発表している。

緊急事態宣言がいまだ続く 東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県、そして北海道 で我慢を強いられている人たちからすれば、いい加減にしろ、と言いたくなるような光景かもしれない。しかし人間はこれまで、互いが触れあいながら社会を形成して、その中で生きてきた。それこそ、猿の毛繕いを見れば分かるように、人間が人間になる前から、触れあうことは重要なコミュニケーション手段だったし、 コミュニケーションの成否は場合によっては生死を左右する営みでもあったことも、我々は知っている。

すなわち我々は、理屈ではなく本能に近いレベルで、人間同士の接触を回避できないのであって、すべてにおける「ディスタンス」はやはり無理があるのだ。正に「無理じゃね?」の感じである。

だとしたら、ワクチンや治療法が確立するまでの間、強制的に距離を取る以外にどのような方法が可能なのかを、我々は見つけ出さなければならない。そしてワクチンや治療法が確立するのは、どんなに為政者が根拠のない楽観論を唱えたところで、おそらく早くても5-10年はかかるだろう。

「なぜそんなにかかるの?」と思われるだろうが、そもそも私達は新型コロナウイルスが何なのか、その解明さえまったくできていない。それに、SARSやMERSのワクチンがまだできていないこと、あるいはエボラ出血熱の治療法確立が50年近く経ってようやく昨年あたりに目途がつきはじめたことを考えれば、自明である。だとすると残念だが、人間は新型コロナウイルスとじっくり付き合うしかないし、その中でも私達が行動変容できないことは何かを、価値観のレベルから見出して、新しい対策を考えなければならない。

では「ポスト・ディスタンス」は何なのか。GASKETにもまだ分からないし、まだ私達はその行動様式を獲得していない。ただ、仮説はいくつか考えていて、それを頭の中で燻らせながら、再び生活者の体験を見出すべく、家の周りの散歩や、近所のスーパーへの買い物を続けている。