ニッポンはポルトガルになればいい

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9月の話なので少し時間が経ってしまったが、20年ぶりにポルトガルに出かけた。わざわざ行ったのではなく、アムステルダムで開催されるIBCに参加するためにヨーロッパまで飛ぶ際にワーケーション的に行ったものだ。どこに行ってもよいのが、今年は20年ぶりということもあるのでポルトガルを再訪することにした。

20年前はなぜ、何しに行ったのか。それは15年ほど努めた会社をやめて次のことを考える時に、それまでの忙しい生活を見つめ直したかったこと。そしてこの先も同じように忙しく暮らしていくのだろうかと考えたこと。そんな時に、かつて世界を制したポルトガルという国は、最近のデジタルとかITといった領域ではほとんだ名前を聞くことはなく、だからといって決して遅れている、貧しいわけではなさそうで、いやむしろ自分よりも遥かに心豊かに暮らしているのではないかと思い、それをこの目で確認しに行ったわけだ。そしてその答えはまさにのとおりであった。心豊かな国だった。

あれから20年。自分は57歳だ。まだ当分は、きっと身体が許すのであればさらに20年くらいはいまと同じことをやっている気がする。そにためには次の20年を同じ用に走り続けることは流石にできないと思うし、新たなベンチマークが必要だ。そしてもちろん、ポルトガルはこの20年でなにか変わったのだろうか、それを再び個の目で確認する必要があると思ったのである。

20年後の答え合わせは、やはり彼らは心豊かだった。仕事は夕方には終わり、街なかの公園で延々話をしている。スマホを持っていないわけではないが、欧米やアジアとは異なり、それに釘付けになることはない。地下鉄の中でスマホを見ている人はあまり見かけない。

リスボンの地下鉄ではスマをを見ている人がいない
公園でのんびりと
マンホール
シェアリングの電動スクーターもちゃんとある
稼働停止した原子力発電所

同じようなのんびりした国や場所は世界中にいくらでもある。ハワイもそうだし、アジアのリゾートなどは時間がゆっくり流れている。でもそういった場所は単なる田舎だし、産業はないし、娯楽もない。エキサイティングな感じ、ワクワクする感じはない。自分はそういう場所だけに居続けることはできない性分であることをよく知っている。

もうあくせくした競争はやめて、そこそこの生活を送る。そんな社会を目指すのはダメだろうか。