新幹線の自由席はなぜいつもギャンブルなのか

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少し前、小田原から品川まで、東海道新幹線に乗った。鈍行列車でも1時間くらいなので、普段ならのんびり東海道線に揺られるところだが、急ぎの用事があったので、致し方ない。短い時間だから、自由席で十分だろうと思ったら、そもそも指定席は満席だという。こだま号も結構混んでいるものだ。

時間はちょうど正午くらい。品川までは30分弱。弁当をかき込むのには十分だ。急いでいるくらいだから、東京に着いてからランチの時間はない。そしてなにより、ここは小田原。豊富というほどではないにせよ、海産物を使った駅弁が目の前に並んでいる。思わず手を伸ばしかけたところで、ふと考える。指定席が満席だとしたら、自由席はどうだろう。いくらこだま号は(のぞみやひかりに比べて)自由席の車両が多いらしいとはいえ、当然混んでいると考えるべきではないだろうか。

ここはギャンブルである。もし座れないとしたら、さすがにデッキで立ちながら駅弁は食べたくない。そして弁当を買ってしまえば、食べられなかった弁当を片手に、午後の東京を彷徨うことになるかもしれない。いやいや、もしかするとゆったり座れて、弁当を満喫しつつ時間も節約できて、一石二鳥ではないか。あれこれ考えるうちに、列車が入線する時間が近づく。逡巡の結果、結局コンビニでおにぎり一つを買って、ホームで列車の到着を待つ。

ギャンブルの結果は、負け。予想に反して、自由席はガラガラで、快適に座って過ごすことができた。そんな中で、コンビニおにぎりをほおばる。もちろん味は普通においしいのだが、どうにも素直に飲み込めない。ギャンブルに負けて、今日の昼飯はおにぎり一個か。どうしてこうなった…。

実は昔から、気にはなっていた。なぜ多くの鉄道会社は、自由席の混雑状況を可視化し、事前に教えてくれないのだろうか。

遥か昔であれば、技術の問題をその理由にできたかもしれない。しかし21世紀になって間もなく20年。さすがにもはや言い訳にはならない。センサーを付けて、情報を集約して、通信で情報を飛ばす。それを駅構内やホームの案内板で表示することは、少なくとも技術の原理としては、大した問題ではない。だとしたら、自由席の混雑状況を「教えたくない」理由が、何かあるのだろうか。たとえば旅客の安全管理面での理由が想像できるかと言えば、正直思いつかない。それを可視化することが、顧客満足度を著しく下げる理由も、やはり見当たらなさそうである。

となると結局、鉄道会社側が「やりたくない」ということに、思えてしまう。実際、可視化された結果、自由席が空いていれば、乗客は指定席を買わなくなる。両者に料金差があるがゆえに指定席の方がより多くの利益を得られるであろうこと、そして指定席の搭乗率が高値で安定することが売上の安定につながるであろうことを考えれば、「教えない」というインセンティブが働いてしまうのは、仕方ないのかもしれない。

もとよりGASKETは聖人君主ではないので、「鉄道会社は心を入れ替えよ」などと言うつもりはない。むしろ彼らのそうした気持ちを尊重しながら、どうすれば自由席の混雑状況を積極的に教えるインセンティブ(行動変革のための動機付けや広義の報酬)が生まれるか、そのことに関心がある。

たとえば、GASKET自身の行動を振り返ると、「駅弁」は一つのヒントになりそうだ。つまり、自由席に座れる可能性が高まることで駅弁の売上が高まるのだとしたら、駅弁の売上の中で、駅弁分と自由席料金分という「レベニューシェア」ができればいいということになる。そしてそれを実現するような高級(=高付加価値)駅弁を生み出せれば、駅弁の利益も高まる。

あるいは、平準化と、それによってもたらされる効率化。自由席車両が多いわりに自由席の混雑状況が分からないということは、空席を求めて多くの車両をウロウロする乗客が増えるということである。当然、列車の中は落ち着かないし、場合によっては乗降にかかる時間が増えてしまうかもしれない。終着駅の掃除作業における時間短縮への執念は有名な話だが、それぞれの駅での乗降にかかる時間が削減できれば、より効率的な運用が可能となる。

断っておくが、ここに例示したアイディアは、何ら分析を経たものではなく、いわば思いつきである。だから現場の事情からするとおかしなことを言っているかもしれない。

お伝えしたかったのは、分析や仮説形成の妥当性ではない。導入されて当然のテクノロジーが導入されていないのには、それ相応の理由があるのではないか、ということである。仮にそうだとしたら、技術そのものを振りかざすのではなく、その理由を明確化し、問題解決(つまり技術導入に伴うインセンティブの設計)を目指すことが、技術導入を成功に導く方法なのではないだろうか。

それにしても、たかだか30分の新幹線の中で、これだけのことを考えてしまうのである。食べ物の恨みというのは、本当におそろしいものだ。そしてそんな恨みのパワーも、おそらく技術導入の原動力に、なるのかもしれない。