機能と信頼性の線引きに苦しむ日本

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先日、洗濯物を畳むロボット(家電)を開発しているベンチャーが残念ながら退場することになったというニュースが流れてきた。また、よくあるこれに付随する裏話や、そんなことで日本のベンチャーは育つのか、みたいな何かしらの意図を感じる記事もそこそこ流れているようだ。その中でいかにも読者の興味を引きそうな話があったのでちょっとだけ考察してみたい。

 大企業が膨大な金額を出資し、開発を進めていたが、いつまで経っても製品化できず、ついに大企業に愛想を尽かされた、というのがメインのシナリオ。そして、その原因のひとつが、ユニクロのある素材をロボットアームが掴めない。ベンチャーの社長はそれでもいいんじゃないか、とりあえず世の中に出してみようと思った。しかし、完璧を期する大企業はそれを許さなかった。だから、この会社はつぶれた。こんなことで日本のベンチャーが育つのだろうか? という流れの記事である。

 例えば、クルマの場合、走る、曲がる、止まる、というのが機能における絶対条件であり、そこに同時に信頼性の定義が存在する。100km/h の速度からどれくらいの距離と時間で停止できるか、というのは機能でもあり、信頼性でもある。デザイン、オーディオ、ナビ、居住性などは信頼性で定義できるものではない。だが一方、唯物的な機能だけでモノは売れるわけはなく、消費するシーンや時間を求めて人はモノを買う。いわゆるコト売りであり、付加価値である。どんなに基本信頼性が高かろうが、嫌いな色やデザインのクルマは買わない。

 日本のマネジメントはプロジェクトをサンクコストとして処理することが非常に苦手である。この突っ込んだ金をどう回収するのか、とどこまでも拘泥する。マーケティング的に言ってもユニクロさんにはとっても失礼な言い方で申し訳ないが、200万円もするこの機械を欲しい(購買可能な)ターゲット層がユニクロの服をメインに持っているとは思えない。
あくまでも想像でしかないが、ユニクロのある生地を掴めない(たためない)からと言って、何十億もの金を簡単に捨てるとは思えない。もっと根源的な何かがあったと思う。

 おそらくこの機械の場合、実際にはユニクロだけじゃなくて苦手なものが20%くらいあったのだと思う。問題は畳むことのできるものとできない洗濯物を、生地そのもの、デザイン、大きさ、その他の要素でマトリクスにしたときに、何の脈絡もエクスキューズも、もっと言うならば遊び心や購入した自尊心も含めて、一切の関係性が見いだせなかったのだと思う。例えば、Yシャツだけなら100%と謳えるならば逃げ道があったのだろうが、そのYシャツも畳める生地と畳めない生地が存在する、という状況だったのだと想像する。

日本は機能と信頼性を同時に達成するモノづくりで世界の頂点に立った。ただでさえ、コト売りが苦手なのである。できることとできないことと、信頼性がごっちゃになってどうにもこうにも説明がつかないものになってしまった。というのが事実なのではないだろうか?

開発した方が悪いとか、出資した側の体質が悪いとか、たぶんそういう問題ではなく、機能と信頼性とイノベーションに触れる遊び心。これらに対する定義ができなかった、ということなのだろう。現時点でまだまだ発展途上のAIテクノロジーの活用は、AIそのものの進化より利用するマネージメント側の進化が急務なのかも知れない。