米国でパンケーキを食べながら合理主義と幸福について考える

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米国へ出張した時のこと。滞在したホテルが朝食なしの素泊まりプランだったので、近所にあるファミリーレストランへ毎朝のように通った。

その初日、メニューを読むと、モーニングセットは大きく3つのカテゴリーで構成されている。まず卵料理。これは自由なスタイルが選べると書かれている。付け合わせは、じゃがいも炒め、ハッシュドポテト、またはフルーツ。次に肉類、これはベーコン、豚肉のソーセージ、または七面鳥のソーセージ。そして炭水化物は、パンケーキ、ビスケット、マフィン、コーヒーケーキ、クロワッサン、トーストの中から選べる。あとは、コーヒーか紅茶が付いている。朝から随分とボリュームのある内容だ。

卵料理の「自由なスタイル」というのが少し引っ掛かるが、まあ尋ねてみれば分かるはず。そこで店員を呼んでみたら、やはり卵料理を選べ、という。「何があるのか」と質問すると、即座に表情が曇って、ゆで卵かスクランブルエッグの二者択一。次に肉類、ここはベーコンかソーセージから選べというので、「七面鳥のソーセージはあるか?」というと、ますます雲行きが怪しい。

付け合わせは、ポテトかフルーツ。これはあっさり選べたが、次の炭水化物で大きく躓く。パンケーキかマフィン、他はないという。「コーヒーケーキって何?」と質問したら、「コーヒーのケーキだ」と。そこで「うーん」と数秒でも逡巡したら、「またあとで来るから、決めておいて」と他の席に飛んで行ってしまった。
すなわち、メニューの記載内容からはそれほど逸脱していないものの、店員によってカテゴリーは4つに再整理され、順番は変更され、選択肢が絞られている状態で、お客はそれに従う必要があったのだ。

日本の感覚からすれば、このやりとりを受けて、店員に不満を感じる向きもあるだろう。確かに筆者も「もうちょっと教えてくれてもいいのに」とは思っていたし、仕事や日常生活で英語に不自由したことはないので、仮にさらなるダメ押しがあったら、やんわりと不満を伝えていたかもしれない。

しばらくして、料理が運ばれてきた。アメリカンダイナーの伝統的な朝食で、普通以上においしい。そして店員を見てみると、別にこちらに苛立っているわけではなく、むしろ「コーヒーのおかわりは?」「ミルクや砂糖は?」といろいろ気を遣ってくれた。物価(とりわけ食費)の高い米国にしては料金も安く、最初の注文以外は総じて満足だった。

翌朝も同じ店に行ったら、同じ店員がいた。さすがに前日のやりとりはこちらも覚えているので、今度はササッと注文。すると、ちょっとした雑談まで生じるくらい、店員は昨日以上に機嫌よく仕事をしてくれた。

こうした様子を長々と書いてきたのは、これこそが米国の典型的なスタイルだということを、お伝えしたかったからである。

まず、予め記載された要件(この場合はメニュー)がある。一方でそれらは現場で最適化をして、プロトコル(店員による運用手順)を作り上げる。このプロトコルは現場による解釈そのものだが、要件から逸脱するものではなく、あくまでその合理化を進めたものだから、店員の勝手な振る舞いではなく、「いまできることを単純化した結果」である。

ならば、こちら側がいちいちつっかかるより、店員が考えた効率化のプロセスに従った方が、「自分以外にこのお店にいるお客や、当該店員以外のすべての従業員」の利益、つまり全体最適に資する。ならば自分が店員の示すプロトコルに従う方が合理的だということになる。

手続きの標準化とそれを最適化する現場のプロトコルを許容し、そしてそれに従うことで多くの人の利益最大化に貢献する。これこそがアメリカン・スタイルなのである。慣れてしまえばとてもシンプルだし、その店員が対応してくれる限りは、英語を覚える必要もなくなるくらい、簡単である。

お分かりいただけるだろうか。米国発の多くのITサービスは、こうした発想で構成されているのだ。実際、この話を下敷きに敷いてみると、アマゾンがどうしてダッシュボタンを作ったのか、あるいはGoogleはどうしてTCP/IPの上に自らのデータ転送プロトコルを作ろうとするのかが、なんとなく見えてくるはずである。

もちろん、こうした米国流の合理主義が、私達を幸福にするのかは、分からない。しかし、インターネットは米国発の技術であり、IoTは「モノ(コト)のインターネット」でもある。すなわち現在の多くのデジタル技術やネットを前提としたサービスが、こうした発想に基づいてできていることは、もっと理解されるべきだろう。その上で、私達が求める本当の幸福とは何なのかを改めて考えるのが、IoTを活用したサービスを設計するために必要なことなのだと、GASKETは考えている。