「ボヘミアン・ラプソディ」と「帰ってきたヒトラー」で感じた映画館の臨場性

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ボヘミアン・ラプソディが絶好調だ。フレディ・マーキュリーの全盛期を知らない、物心着く頃には彼が亡くなっていた30代前半の筆者ですら、最後のライブ映像には涙した。11月9日の封切り以降、日本はもちろん世界中でスマッシュヒット、口コミでも評判が良く2回3回とみにいくリピーターが後を絶たない。それを後押ししているのは「応援上映」と呼ばれる拍手や発声が可能な鑑賞スタイルの存在で、なんと全国100館以上で実施されている。

大人気の「応援上映」

確かに、映画のクライマックスで描かれる「ライブ・エイド」の再現は圧巻で、より音響効果の高い映画館で観た場合は思わず画面の中の観客と一緒に歌い、手や足を叩きたくなること請け合いだ。実際にDolby Atmosで通常の上映をみた筆者も、あまりの臨場感に自分はどうして黙って座って観ているのかと不思議に感じたほどだ。映像演出が巧みで、観客達の大盛り上がりを一緒に共有し、自分も手を振り一緒に歌い、さながらライブに来た時のような体験をしたいと思ってしまう。リピーターの方々が発声や手拍子が可能な応援上映にいくのは大変理にかなっていて、しかるべき時に、騒ぐときにきちんと騒ぐというスタイルは新しい映画の手法であるように思う。映画を観るのではなく、映画を「体験」する。今までも応援上映は数多くあったが、ボヘミアン・ラプソディは新しいライブ・エンターテイメントの方向性を示しているのではないだろうか。

後頭部をうまく利用した「帰ってきたヒトラー」

ボヘミアン・ラプソディでは、あまりの臨場感に大人しく観ている自分に違和感を覚えたのは前述の通りだが、その中でもとりわけ作中で現実に引き戻された瞬間が、「今、自分はライブではなく映画を観ている」という状況を冷静に見てしまった時だ。画面の中は盛り上がっているのに、視界に入るのは黙ってスクリーンを見つめる人々の後頭部で、画面の中と外が完璧に断絶されていることを否が応にもにも感じてしまう。応援上映であればそこは軽減されるものの、自分はそこにはいないのだという気持ちが入ると、折角の臨場感も台無しだ。

この現象を逆手にとってうまく利用したのが映画「帰ってきたヒトラー」だ。現代にヒトラーが甦ったら?というのを題材にしたドキュメンタリー風コメディ映画で、ヒトラーのそっくりさんが現代のドイツを闊歩したり、TVに出たりYouTubeを席巻したりといった内容だ。この中でヒトラーはTVの番組内で演説をするのだが、その演出がとても面白い。TEDのように観客を囲むようにしてヒトラーがヒトラーたる演説をするのだが、番組内の観客が画面内に映り込むことにより、映画館の観客の後頭部もその延長線上にあるかのような錯覚を起こし、まるで目の前で演説を聴いているかのようになるのだ。スクリーン内と同じ環境がこちらにあるせいで、全く高画質でもなければ高音質でもないのに、とんでもない臨場感を覚えた。この映画自体がリアリティに富んだ作りになっているというのもあるが、こんな観客の引き込み方もあるのかと感動したことを覚えている。

映画館に求められる「臨場感」

ボヘミアン・ラプソディのヒットをみるに、映画館に求められているものはこういった「ライブ感」かもしれない。ライブを観に行くような感覚で、映画を観る/体験する。今回感じた感動は、映画という脚本があり、役者の演技があり、クイーンの魂のこもった演奏があってこそなので、ライブ映像をただ流すだけとは訳が違うのだが、一つの方向性を示したのではないだろうか。高画質・高音質になり、各所で4Kや8Kでの中継や実証実験が行われているが、帰ってきたヒトラーのように演出次第で臨場感を出す事も可能である。ライブも映画も、新しい時代への一歩を踏み出した。